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脇差 白鞘入り Wakizashi, Shirasaya |
池田一秀
Ikeda Isshu |
【銘文】表 : 池田一秀入道龍軒 裏 : 文政七年八月日 |
【寸法】刃長 53.63cm(1尺7寸7分0厘)、反り 1.51cm(5分0厘)、元幅 3.20cm、元重ね 0.72cm、先幅 2.38cm、先重ね 0.48cm、目釘孔 1個、刀身重量 556.5g 、白鞘全長 76cm |
【時代】江戸時代後期 文政七年(1824) |
【国】出羽 |
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【特徴】鎬造、庵棟、身幅広く、重ね尋常、やや鎬筋高く、反り頃合いにつき、中切先延びる姿。 生茎、鑢目大筋違に化粧鑢、先刃上がり栗尻、目釘孔一。 地鉄は、小板目肌よくつみ、地沸つき、地景細かに入る。 刃文は、湾れに互の目や丁子刃交じり、長い足頻りに入り、小沸よくつき、砂流しかかる。 帽子は、直ぐに小丸に返り、先掃き掛ける。 【見どころ】池田一秀は、安永2年(1773)、山形県飽海(あくみ)郡観音寺村(現在の八幡町地内)で、鍛冶職池田家3代伝兵衛(富一)の次男として生れました。文化2年(1805)、山形城主秋元但馬守の抱え工・水心子正秀が庄内に来遊した折、入門し鍛刀を学びます。同年庄内藩主酒井家に召出され、3人扶持となり鶴岡に居住、のち水心子の高弟水生子昭秀について修行します。文化5年(1808)に剃髪し龍軒入道と号して精進し、同7年(1810)一代御職人として加増、10人扶持となります。文政2年(1819)、米沢藩上杉家に仕えていた刀工加藤国秀(綱俊の父)について技を磨いたと伝えられます。天保11年(1840)、家業を2代目一秀に譲って隠居し69歳で没し、鶴岡禅竜寺に葬られました。 本作は、身幅が広く堂々とした姿で、足長くしきりに入る乱れ刃は匂口が明るく冴え、見事な一振りとなっています。 【状態】刃区に小さな欠けがあり、わずかに小錆・擦れがありますが、現状で保存と鑑賞が可能です。 |
【付属品】素銅地金着一重ハバキ、白鞘、白鞘袋、登録証(山形県1131号 昭和廿六年五月拾貳日交付)、特別保存刀剣鑑定書(日本美術刀剣保存協会 令和元年5月23日発行)
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【商品番号】A010723 【価格】売約済 |
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