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脇差 白鞘入り 拵付 Wakizashi, Shirasaya, Koshirae |
無銘(下原)
Mumei, attributed to Shitahara |
【銘文】無銘 |
【寸法】刃長 38.8cm(1尺2寸8分0厘)、反り 1.2cm(3分6厘)、元幅 3.09cm、元重ね 0.34cm、目釘孔 1個、刀身重量 384.5g 、白鞘全長 59cm、拵全長 58cm |
【時代】室町時代末期 |
【国】武蔵 |
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【特徴】菖蒲造、庵棟、身幅広く、先反りがつく姿。 生茎、鑢目(表)逆鷹羽(裏)鷹羽、先栗尻、目釘孔一。 地鉄は、板目肌杢目交じり、地沸つく。 刃文は、互の目乱れ、小足入り、沸よくつき、細かな砂流ししきりにかかる。 帽子は、乱れ込み、先尖りごころに返る。 黒変わり塗鞘脇差拵 : 桐桜図透鐔(鉄地丸形)、松図縁頭(赤銅金色絵)、老松図目貫(赤銅地容彫金色絵) 【見どころ】下原鍛治は、武蔵国多西郡、現在の東京都八王子市下恩方下原のあたりを本拠地とし、周重(ちかしげ・かねしげ)を祖とする一派です。銘鑑によると、上杉家目代であった大石源左右衛門道俊が、北条氏照(1542-1590)を養子として滝山城(国史跡 https://hachioji-takiyama-500th.com)にあったころ、鍛治を多く城下に召し抱えました。周重は、相州藤沢住次広の門に学び、のち小田原康春、島田系の政俊の指揮下に入り、八王子築城に及んで、城下恩方村(おんがたむら)に下原鍛治を開いたと伝えられます。この地は、1919年に詩人・中村雨紅が、故郷恩方の風景をもとに作詞した童謡「夕焼小焼」でも知られています。下原鍛治は、江戸時代には徳川幕府の御用鍛治となり幕末まで作刀が行われました。本作は、身幅広く先反りつく菖蒲造りの体配で、下原派が得意とした如輪杢とよばれる顕著な杢目を随所に見てとることができ、一定の高低差つく互の目乱れ刃文を焼いています。 【状態】はばき上から、刀身中ほどまでの刃先に、細かな刃こぼれが複数あります。研磨の状態は良好です。 |
【付属品】二重ハバキ、白鞘、白鞘袋、拵、拵袋、登録証(新潟県 057182号 昭和60年6月17日交付)、保存刀剣鑑定書日本美術刀剣保存協会令和元年12月2日発行) |
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【商品番号】A081121 【価格】 売約済 |
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