脇差 白鞘入 Wakizashi, Shirasaya |
近江守法城寺橘正弘
Omi no kami Hojoji Tachibana Masahiro |
【銘文】表 : 近江守法城寺橘正弘 裏 : (金象嵌)寛文六年六月十八日貳ツ胴截断 同年六月廿二日三ツ胴截断 山野加右衛門六十九歳永久(花押) |
【寸法】刃長 52.3cm(1尺7寸2分6厘)、反り 1.1cm(3分6厘)、元幅 3.23cm、元重ね 0.70cm、先幅2.37 cm、 先重ね 0.52cm、目釘孔 1個、刀身重量 618g、白鞘全長 76cm |
【時代】江戸時代中期 |
【国】武蔵 |
【特徴】姿は、鎬造り、庵棟、身幅広く、重ねやや厚く、やや元先の幅差つき、反り浅くつき、中切先となる姿。 生茎、先浅い入山形、鑢目筋違、目釘孔一。 地鉄は板目肌、地沸つき、地景細かに入る。 刃文は、広直刃調に互の目や小互の目丁子ごころの乱れ刃を交え、足・葉しきりに入り、匂深く、小沸よくつき細かな砂流しかかり、匂口明るい。 帽子は、直ぐに小丸に返る。 【見どころ】法城寺橘正弘は、本国但馬、のちに江戸に移住して法城寺派の祖となり、以後一門は繁栄します。同名二代あり、初代は承応・万治・寛文頃、二代は延宝・元禄頃に作刀しました。本作は、銘振りから初代の作と見られます。寛文6年6月18日貳ツ胴截断、その4日後6月22日さらに三ツ胴截断の様斬を行った旨を金象嵌で銘記しており、その金象嵌銘も保存状態が良く、並はずれた威力を備えた脇差として珍重されてきたことが分かります。初代正弘の師伝は明らかではないものの、その作風から長曽祢乕徹と何らかの関わりがあったと考えられています。健全で、匂口明るく、地刃の出来が優れています。 【状態】良好です。 |
【付属品】素銅地上貝金着下貝銀着二重ハバキ、白鞘、白鞘袋、登録証(大阪府 第48293号 昭和四拾年拾月五日交付)、倉敷刀剣美術館鑑定書(平成二十八年十二月十一日発行)、特別保存刀剣鑑定書(日本美術刀剣保存協会 平成二十九年三月二十四日発行) |
【商品番号】A100319【価格】売約済 |
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